なぜ、私は何も変わっていないのに、韓国から日本へ移るだけで、私が統一教会の2世であることを隠さなければいけなくなるのか

 話の前提として、私は統一教会の2世であるが、霊感商法に携わったことは一度もないし、正体を隠した勧誘をしたこともないということを挙げておきます(この2つの活動を挙げるのは、これらが統一教会の問題として最も頻繁に挙げられるものだからです。その他にも、自分が自覚し得る範囲では、私は統一教会の中での活動で他者に危害を加えたことはないと考えています)。そして、多くの2世(信仰を捨てた人はもちろん、信仰を持っている人も含めて)も私と同じでしょう。また、1世の人たちは2世と比べると上記の活動に関わった人は多いと思いますが、全ての1世信者が社会的に問題のある活動に携わっていたわけではありません*1(特に最近入信した人は、霊感商法等に関わった人のほうが圧倒的に少ないはずです)。

 

 記事タイトルの「なぜ、私は何も変わっていないのに、韓国から日本へ移るだけで、私が統一教会の2世であることを隠さなければいけなくなるのか」についての答えは、以下の通りであり、同時にこれは統一教会2世の立場から、社会への問題提起にもなっています。

 

 私は、韓国が第二のホームと感じる程度には、韓国に長く滞在した経験があります。私の周りの人たち(非信者)はほぼ皆、私が統一教会の2世であることを知っていました。しかし、生活をする上でそのことで差別されたことはほとんどなく(たまに「本当に信じているの?」と訊かれることや、冗談交じりにからかわれることはあったが)、むしろ外国からやってきて色々と大変だから、と多方面で支えてくれる人が多かったです。また、これは私だけの経験ではなく、韓国長期滞在の経験がある統一教会信者からもよく聞くことです。

(韓国内での統一教会に対する雰囲気は、以下の記事の後半でも取り上げています。)

uc2.hatenablog.com

 

 

 一方で、日本に帰ってくると、私が統一教会の2世であることは隠していなければ生きていけません。大学では、「カルト対策」と言いながら実質上、統一教会を主に対象とした特定宗教に対する圧力をかけています。社会の中でも、「統一教会員であること」がバレたら、入試や就職、恋愛・結婚、そのほか生活全般において不利になるでしょう。

 日本の社会で統一教会2世として生きていくならば、そのことを隠すか、「統一教会とはすでに完全に縁を切った」と言うしかありません。私は、このブログで私自身の信仰の有無について明らかにしませんが、仮に、信仰を捨てていたとしても、統一教会内に、本当に本当に大事な家族、友人たちがいるので「統一教会と縁を切った」とは絶対に言えないでしょう。

 したがって、私には、日本の社会において「統一教会2世である」という自身のアイデンティティ*2を隠すしか選択がありません。(もちろん、このブログでは2世であることを明記していますが、それは匿名だからです)

 

 以上が、記事タイトルの答えです。

 では、改めてほぼ同じ形で、問題を提起しておきます。

 

 なぜ、私自身が1ミリも変化せずとも、そして何も悪いことをしていないのに、社会が、韓国から日本へ、日本から韓国へ、変わるだけで、「統一教会2世である」という私自身のアイデンティティを隠さなかったり隠したりする必要が生じるのか。

 

 私は、この問題提起に対する応答が社会においてどのようなものになるかは予想していますが、あえてそれには同意も反論もせず、問題提起だけしておきたいと思います。

*1:仲正昌樹統一教会と私』や、元信者である宿谷麻子さんのホームページの「苦悩の歴史」参照。筆者は、これらが、特に珍しい例でもないと考えています。

*2:生まれたときから2世として育てられ、その中で生活してきたので、信仰の有無にかかわらず「統一教会2世である」ことは否が応でも私のアイデンティティになります。