打越さく良議員の山際大臣への「踏み絵」質問で思い出す、公然と他者の信仰の有無を推し量る宗教社会学者のこと

 立憲民主党の打越さく良参院議員が、山際経済再生担当大臣に対して統一教会の信者であるかどうか問い詰める「踏み絵」質問をし論議を呼んでいるようです。

 

www.yomiuri.co.jp

 

www.sankei.com

 

 さすがにこれには学者達からも批判の声が上がっています。

 

 

 はっきり言えば少し学者達を見直しました。いや、こんなのは当たり前の批判ではあるのですが、統一教会が絡むと、そんな当たり前のこともできない学者の臆病さ、卑怯さを目の前で見てきたので。

 この件で思い出したのが、以前、ツイッター上で宗教社会学者の橋迫瑞穂先生が(私のプロフィールはわざわざ信仰の有無を曖昧にしているのに)私を現役信者だと決めつけ、私が信仰の有無は明記していないと述べたら、では脱会者なのですねと確認してきたときのことです。踏み絵かよと。

 情報を公開していない他者の信仰の有無を公然と論じること自体がだいぶ野蛮なことではありますが、よりによって宗教二世問題を語る宗教社会学者が、宗教二世に対してこのようなことをしたのは怒りを通りこして呆れてしまいました。ネタ枠の人としていまでは認知しています。

 宗教二世に対して信仰の有無を訊くことについての私の見解はこれ。

 

 ちなみに、安倍殺害を受けて、橋迫瑞穂先生は宗教2世に向けて秘密厳守で話を聞くと述べています。

 信仰という最もプライベートなものについて、これほど鈍感な人がどれだけ「秘密厳守」できるのか不安になります。私が、信仰の有無を公然と訊いてくる人がいると相談しにいったらどうなるのでしょうか。

 打越さく良議員の騒動を見ながら橋迫先生も何か感じることがあったら良いのですがほとんど期待はしていません。

統一教会に本当にダメージを与えたいなら…

 安倍殺害で統一教会自民党の関係が色々とクローズアップされているわけですが、なぜ統一教会に「需要」があるのか学者も含めてよくわかっていないなと感じます。単なる票田として見たり、金銭的なやり取りがあったのではないかと考えたり、勝共連合の古い付き合いでそうしているのだと論じても、たぶん4割くらいしか理解できないでしょう。残り6割ですが、4割が韓国北朝鮮との関係、2割がその他米国等でのコネクションのためくらいに考えたほうがいいと思います。

 

uc2.hatenablog.com

 上の記事で書いたように、統一教会は韓国社会の中で胡散臭い存在として見られていても、統一グループ(統一教会系の事業グループ)は社会の中で評価されています。ツイッターでは統一教会が日本ほど暗躍している国は無いみたいな話が流れてきましたが、社会の隅々まで影響があるのはむしろ韓国のほうです。

 統一グループの一和のメッコール(ジュース)はどこの売店に行っても韓国では売られているし、統一教会系の大学である鮮文大学は一般の入学者の多い中堅大学です。仙和芸術中学・高校は芸術系のエリート校で毎年ソウル大進学者数トップ10に入るほどの学校です。また他にも一般に開かれた統一教会系の中学高校もありますが、驚くべきことに、そこには自治体の学区指定で半強制的に非信者の一般の学生たちが割り振られ通っているし、謎の進学実績で微妙に人気校であったりもします。そして、統一教会系の世界日報は全国紙で、これも韓国のどこに行っても売店で売られています。統一教会幹部が韓国のプロサッカー連盟の会長を務めたこともあります。

 政治に至っても右派だけではなく左派とも交流があるし(だからこそ安倍がメッセージを送ったイベントに、文在寅政権初期に首相を務めた丁世均も祝辞を送っている)、北朝鮮ともつながりがありながら反共で南北統一を目指している、という点で、韓国の中では重要な政治的アクターとして挙げられます。

 

 霊感商法や高額献金等を問題にし、自民党統一教会の関係を批判するのは真っ当なことですが、なぜこの人達が統一教会と交流を持とうとしているのかについては国内の論者は本当に分析が不足しているように感じます。韓国朝鮮生まれの宗教なのに、(中西尋子先生を除き)統一教会に詳しい「専門家」が韓国語の資料を読まない(たぶん読めない)のも大きいのではないでしょうか。

 本気で統一教会にダメージを与えたいなら、なぜそこに政治家の「需要」が生まれるのかについて適切な理解が無ければ難しいでしょう。私の予想では、今回を機に多くの政治家がとりあえず統一教会とのコネクションを切ると思いますが、10年くらいしたらしれっと戻ってくるのではないかと考えています。そこに統一教会しか持てないつながりがある限り。

 本気であるならば、テレビに映っている日本の統一教会幹部を叩いてもあまり意味はなくて(この人達の教会内での権力は大したものではないし、高額献金で金銭的な利益を得ているわけでもない(悲しいくらい貧乏))、韓鶴子総裁や韓国の幹部、そしてそれを支えている韓国社会にメスを入れないとダメだと思いますよ。そうなると嫌韓言説に結びついたり、国際問題に発展しかねないと思いますが、いまの湧き上がっている世論を見るに、反統一教会の知識階級の人達が上手くそれをコントロールできるとは到底思いませんが。そもそも本気ではない、憂さ晴らしに近いものを感じるので杞憂でしょうね。

統一教会2世が、統一教会信者の信教の自由を擁護することのコストがあまりに高いという愚痴。

 とりとめもなく愚痴。

 統一教会に対する批判と、統一教会信者の信教の自由を擁護する内容の両方を主張する記事を書こうとしたのだけれども、書いている途中で途方に暮れてしまった。

 統一教会に対する批判は、(想定読者である)世俗の人々の直観と整合的で気を使うことも少なくスラスラと書けるし、補足情報も少なくて済む。一方で、統一教会信者の信教の自由を擁護する内容は、人々の直観にマッチしないために、読者に正しく理解してもらうためには長々と情報を書く必要がある。

 たとえば、反統一教会派の人々が、数十年にわたって「脱会カウンセリング」や「保護・説得」と称して、統一教会信者を暴力的に拉致して監禁し棄教を迫っていたことは、統一教会内部の人たちにとっては常識である。信仰を棄てて統一教会に批判的な態度を取る2世ですら、その拉致監禁の存在は認め(だって身近に拉致監禁された人たちがいるし、証拠もたくさんあるしね)、批判もするのだけれど、世俗の人々にとってはそんなことは常識ではない。

 むしろ、そのような事実を述べれば、嘘ではないかと疑われるし(実際にツイッター上で大学教員がこれと関連した主張について「かなりの嘘や無理筋」と述べていた)、特に理由もなく嘘だと述べる主張のほうが何の精査もなく受け入れられる(拉致監禁強制棄教は事実だと論じる主張のほうは、裁判資料や加害者、被害者の発言をもとに念入りに内容を構成していてもだ)。たとえ、事実も含まれていると認めてもカルトを脱会させるためなら少し手荒なことをしても仕方がないと考える人も多い。

 統一教会信者が社会の中で抑圧的な差別を経験しているのは私にとってあまりにも明らかな事実なのだけれども、それを説明するには数多くの反論を予測しながら書かなければならない。反論を予測しているうちに、書かなければいけないことの量に圧倒されて気が滅入ってしまった。

 そういえば先月、反カルトを批判する内容をツイッターで書いたら、とある宗教社会学者に統一教会を「擁護」したとして(私は信仰の有無をネット上で明かしたことがないのに)「現役信者」だと決めつけられ、「現役信者」だから信用ならないというようなことを言われた。挙げ句には、じゃ脱会者なのか?と踏み絵を提示されたのだけれどもその学者の周りには誰も諌める人がいなかったようだ。相手が、「カルト」2世ではなく、ムスリムやクリスチャンかもしれない人々だったら、炎上した可能性は割とあるだろうなと思う。一般の人よりは宗教2世について理解のあるはずの宗教社会学者ですらこれ。

 統一教会2世というだけで、自分の主張の正当性を示すのにここまでコストがかかるのはなぜなのだろう。

 「宗教2世問題」なんて言っている人々の多くも結局は、「カルト」に抑圧された、「かわいそうな」2世の「かわいそうな」体験しか声を拾ってくれない。反カルトを批判すれば、それはもう「宗教2世問題」で扱われる2世ではなくなる。かわいそうと言いながら2世の口を塞ぐ人たちがいる。

 結局、冒頭で触れた記事は没にした。気力がない。また適当に書き直すかもしれないけれど。

安倍とトランプがメッセージを送った統一教会のイベント(THINK TANK 2022希望前進大会)について知られていない3つの事実

 少し今更感がありますが、この話題を。

 昨年9月12日に統一教会の関連団体(UPF)が主催するイベント(THINK TANK 2022希望前進大会)に安倍前首相やトランプ前アメリカ大統領がメッセージを動画で公開し、Twitterを中心にSNS上で話題になりました。

 これに対して、『しんぶん赤旗』「やや日刊カルト新聞」や全国霊感商法対策弁護士連絡会が批判的な立場から見解を述べています。それぞれの立場の共通点として、霊感商法等の社会問題を起こしている団体に政治家が関わることに懸念を示しているということが挙げられます。

 この立場は理解します。しかし、これらの記事や抗議文では触れられていない重要な3つの事実があり、それについて認識しなければ、正確な事実把握は困難だと考えています。

 本記事では、国内メディアではほとんど触れられない3つの事実(出典の多くが韓国語の記事になりますが、翻訳ツールを利用すれば大体の内容は把握可能だと思います。また、主催者側UPFの英語記事も載せます)について説明し、それらの事実から、このイベントの位置づけ、安倍やトランプが登場した背景等を、従来とは違った視角から捉え直したいと思います。

 先に述べておけば、本ブログの筆者は統一教会2世であり(信仰の有無は明記しません)、この記事もその立場が反映されているであろうということは留意してください。3つの事柄については、事実に沿って説明しますが、その事実の選定やそれについての見解には、自覚/無自覚的に私の立場が多少なりとも影響していると考えています。

 

知られていない3つの事実

1.安倍とトランプ以外にメッセージを送っていた政治家たち

 日本のSNS上では、本イベントにメッセージを送った安倍とトランプばかりが注目され、両者の立場から、また統一教会のイメージから、いかにも「極右」的な印象が強調されていたように思います。

 しかし、事実として韓国では右左問わず、大物の政治家がこのイベントに関わっています。韓国メディア(ソース① ソース②)や主催したUPF側(ソース(英語))によれば、オ・セフンソウル市長、パク・ヒョンジュン釜山広域市市長、ヤン・スンジョ忠清南道知事、イ・シジョン忠清北道知事、ソン・ハジン全羅北道知事、イ・チョルウ慶尚北道知事、チャン・ヒョングク京畿道議会議長、カク・ドヨン江原道議会議長らが基調演説をしたり祝賀メッセージを送っています(「やや日刊カルト新聞」ではこのことについて少しだけ触れています)。また、元国連事務総長潘基文がUPF傘下の組織「THINK TANK 2022」の委員長を務めているとのことです(ソース① ソース② 主催者UPF側の記事(英語))。さらに、昨年5月の同団体のイベントでは、文在寅政権の初期に首相を務めた丁世均もメッセージを送っています(ソース 主催者UPF側の記事(英語))。

 このように韓国国内では、右左問わず、大物政治家たちが本イベントに何らかの形で関わっています。私の見解としては、安倍とトランプのみを強調し、特定の方向に印象づけるのは不誠実な議論のあり方ではないかと考えています。もし、政治家が統一教会に関与することを問題視するならば、韓国の政治家たちにも同程度に触れる必要があるだろうし、その関与の深さ、幅の広さを考えると、韓国という国家に対して抗議をしてもいいのではないでしょうか。

 

2.韓国における統一教会の位置づけ

 統一教会は、日本では霊感商法等の問題を起こし、反社会的団体としての「カルト」と認知されています。しかし、韓国では「異端」「エセ宗教」と考える人は多くいる一方で、反社会的な存在とまで考える人は多くありません。(このことは、統一教会に批判的な立場を取る日本の学者も認めています*1

 (韓国内での統一教会の評判については、下の記事の後半でも触れています。韓国人の生の声も多く取り上げているので、統一教会に対する韓国内のリアルな雰囲気を感じ取れるかもしれません。)

uc2.hatenablog.com

(下の記事でも私自身の経験から韓国人の統一教会に対する感覚について記しています。)

uc2.hatenablog.com

 韓国の統一教会は、韓国の芸術系中学・高校の中でナンバー2に位置づけられるエリート学校*2や、非信者が多く通う大学*3を運営していたり、韓国のサッカー連盟の会長に統一教会の幹部が任命されたこともあったり*4、有名企業*5も経営していたりと、社会の様々な部分で影響力があります。

 本イベントは、このように韓国社会で大きな影響力を持つ(そして日本におけるように「反社会的」とはみなされていない)統一教会という団体が韓国国内で主催したということを理解する必要があるでしょう。

 参考として、韓国の大手放送局のMBNが、昨年5月にUPFが主催したイベントについて中立的にレポートした動画と、これまた大手放送局のTV朝鮮が、同団体のイベントの放送予告のCMを流した(実際にTV朝鮮でこのイベントが放送されたようです)動画を貼り付けておきます。韓国語が分からなったとしても日本語圏の統一教会に関する報道とは雰囲気がだいぶ違うことが伝わると思います。

youtu.be

youtu.be

3.本イベントの目的とそれに関連する統一教会の強み

 日本のメディアやSNS上では、「統一教会系のイベント」という話だけで盛り上がり、このイベントが何を目的としていたのかについて(少なくとも私が観測した範囲では)触れられることはほとんどありませんでした。しかし、「1.安倍とトランプ以外にメッセージを送っていた政治家たち」で述べたように、韓国国内の多くの大物政治家たちがメッセージを送るほどのイベントが、単なる内輪向けの宗教的行事だったとは考えにくいでしょう。実際、本イベントは、対外的な目的も持ったものでした。

 このイベントの目的の一つは、朝鮮半島の平和的統一を目指す組織(韓半島平和サミットやTHINK TANK 2022)の発足を祝うものでした。

 これと関連して、一つ補足するならば統一教会は、反共という立場にありながらも北朝鮮とのパイプが太いということです。教祖の文鮮明は、北朝鮮を訪問し金日成と会談をしたことがあり、いまでも教会は北との交流があると言われています。

 

 つまり、本イベントは、「1.安倍とトランプ以外にメッセージを送っていた政治家たち」や「2.韓国における統一教会の位置づけ」で述べたように、韓国国内の大物政治家が関与し、社会的にも影響力があり、北朝鮮とのつながりが強いながらも反共をアイデンティティとする、統一教会という団体が南北統一のための組織を発足し、それを祝うためのものだったと言えます。

 私としては、以上のことを考慮に入れると、統一教会が、朝鮮半島の多くの人々の切実な願いである南北統一を目指す組織を設立するならば、韓国内の政治家がこれに関与するのも普通のことだと思います。北と強いコネクションがありながら反共を政治的アイデンティティとする組織が南北統一のためにこれだけの資源を動員するに至ったーーこれが、伝統的に「アカ」を恐れながらも南北統一の道を探ってきた南側にとって、何を意味するのか日本人はもう少し考えたほうがいいのではないでしょうか。

 国外の政治家であっても、南北統一(日本の立場からすれば外交・安全保障に関わる問題)の重要なファクターとして、一定程度この組織に賭けておくのは、単なる「統一教会との怪しい付き合い」に留まらない、政治的打算とも言えるでしょう。

 もちろん、霊感商法等の社会問題を起こした団体ということは懸念事項であるのはもっともだし、批判的に言及するのも一つの立場として尊重すべきと思いますが、少なくとも上記の3つの点に言及しなくては健全な議論が行えないと考えています。また、なぜ、安倍がいまになって、(いままで統一教会とのつながりが水面下のものであったのに)統一教会のイベントに表立って登場したのかについてもよく理解できないでしょう。

 

最後に

 この記事を書いた理由は、日本語圏のメディアでは触れられない3つの事実について紹介したいから、というものだけには留まりません。 

 「統一教会」がテーマになると、あまりに雑な事実認識がまかり通ってしまうこと、そしてそれが統一教会員への人権侵害にも実はつながっている、と憂いているというのがあります(もちろんこれを言うと、統一教会こそが人権を侵害していると非難する人が多くいるのも理解しているし、その見方が妥当なことが多いことも把握しています)。そして、このような「カルト」宗教に対する「雑な事実認識」こそが、宗教2世が多くの困難を抱える一つの原因になっていると考えています。

 望まずに統一教会の2世として生まれ、宗教内/宗教外の社会での理不尽さを経験してきた立場からすると、このことを問題化しなければならないと思っています。

 後日、機会があれば統一教会員に対する人権侵害についても記事にしたいと思います。

*1:櫻井・中西『統一教会』407-408頁。

*2:仙和芸術中学・高校。

*3:鮮文大学。

*4:当時、統一教会幹部であった郭錠煥は、2005~2010年に韓国プロサッカー連盟会長を務めた。

*5:一和など。

なぜ、私は何も変わっていないのに、韓国から日本へ移るだけで、私が統一教会の2世であることを隠さなければいけなくなるのか

 話の前提として、私は統一教会の2世であるが、霊感商法に携わったことは一度もないし、正体を隠した勧誘をしたこともないということを挙げておきます(この2つの活動を挙げるのは、これらが統一教会の問題として最も頻繁に挙げられるものだからです。その他にも、自分が自覚し得る範囲では、私は統一教会の中での活動で他者に危害を加えたことはないと考えています)。そして、多くの2世(信仰を捨てた人はもちろん、信仰を持っている人も含めて)も私と同じでしょう。また、1世の人たちは2世と比べると上記の活動に関わった人は多いと思いますが、全ての1世信者が社会的に問題のある活動に携わっていたわけではありません*1(特に最近入信した人は、霊感商法等に関わった人のほうが圧倒的に少ないはずです)。

 

 記事タイトルの「なぜ、私は何も変わっていないのに、韓国から日本へ移るだけで、私が統一教会の2世であることを隠さなければいけなくなるのか」についての答えは、以下の通りであり、同時にこれは統一教会2世の立場から、社会への問題提起にもなっています。

 

 私は、韓国が第二のホームと感じる程度には、韓国に長く滞在した経験があります。私の周りの人たち(非信者)はほぼ皆、私が統一教会の2世であることを知っていました。しかし、生活をする上でそのことで差別されたことはほとんどなく(たまに「本当に信じているの?」と訊かれることや、冗談交じりにからかわれることはあったが)、むしろ外国からやってきて色々と大変だから、と多方面で支えてくれる人が多かったです。また、これは私だけの経験ではなく、韓国長期滞在の経験がある統一教会信者からもよく聞くことです。

(韓国内での統一教会に対する雰囲気は、以下の記事の後半でも取り上げています。)

uc2.hatenablog.com

 

 

 一方で、日本に帰ってくると、私が統一教会の2世であることは隠していなければ生きていけません。大学では、「カルト対策」と言いながら実質上、統一教会を主に対象とした特定宗教に対する圧力をかけています。社会の中でも、「統一教会員であること」がバレたら、入試や就職、恋愛・結婚、そのほか生活全般において不利になるでしょう。

 日本の社会で統一教会2世として生きていくならば、そのことを隠すか、「統一教会とはすでに完全に縁を切った」と言うしかありません。私は、このブログで私自身の信仰の有無について明らかにしませんが、仮に、信仰を捨てていたとしても、統一教会内に、本当に本当に大事な家族、友人たちがいるので「統一教会と縁を切った」とは絶対に言えないでしょう。

 したがって、私には、日本の社会において「統一教会2世である」という自身のアイデンティティ*2を隠すしか選択がありません。(もちろん、このブログでは2世であることを明記していますが、それは匿名だからです)

 

 以上が、記事タイトルの答えです。

 では、改めてほぼ同じ形で、問題を提起しておきます。

 

 なぜ、私自身が1ミリも変化せずとも、そして何も悪いことをしていないのに、社会が、韓国から日本へ、日本から韓国へ、変わるだけで、「統一教会2世である」という私自身のアイデンティティを隠さなかったり隠したりする必要が生じるのか。

 

 私は、この問題提起に対する応答が社会においてどのようなものになるかは予想していますが、あえてそれには同意も反論もせず、問題提起だけしておきたいと思います。

*1:仲正昌樹統一教会と私』や、元信者である宿谷麻子さんのホームページの「苦悩の歴史」参照。筆者は、これらが、特に珍しい例でもないと考えています。

*2:生まれたときから2世として育てられ、その中で生活してきたので、信仰の有無にかかわらず「統一教会2世である」ことは否が応でも私のアイデンティティになります。

櫻井義秀『カルト問題と公共性』の虚偽内容について

 本記事では、櫻井義秀『カルト問題と公共性』の第2章「四 脱会カウンセリングと信教の自由」にある虚偽内容と、そのほか問題のある記述に関して指摘します。

 ちなみに、「本書の調査研究は文部科学省日本学術振興会の科学研究補助金を受けてなされた」(あとがきより)もので、「直接関連あるもの」は、「宗教集団調査法の研究-社会問題化する教団を中心として」(課題番号 10871005)、「カルト問題と社会秩序-公共性の構築に関わる比較社会論的検討」(課題番号 16320010)、「カルト被害の救済と回復-レジリアンスの視角から」(課題番号 24101501)とのことです。

 

(2022/01/13追記)『カルト問題と公共性』を出版している北海道大学出版会は、査読システムがあるそうです。また、理事長は「櫻井 義秀(北海道大学大学院文学研究院教授)」とのことです。

 

目次

 

1.『カルト問題と公共性』における虚偽内容

 まず、虚偽内容について。

 櫻井は、第2章の「脱会カウンセリングと信教の自由」という節(57-63頁)で、統一教会信者に対する「脱会カウンセリング」(統一教会側の主張では「拉致監禁(強制棄教)」)*1についての批判に応答しています。

 ここで言及されている「脱会カウンセリング」(拉致監禁)批判についての文献は、①米本和広『我らの不快な隣人』、②太田朝久『踏みにじられた信教の自由』、③梶栗玄太郎日本収容所列島』、④室生忠大学の宗教迫害の4冊であり、櫻井はそれぞれについて論評しています。このうち①④は、統一教会外の宗教ジャーナリストによる著作で、①は拉致監禁批判、④は大学のカルト対策に対しての批判です。②③は統一教会側による、拉致監禁批判の主張です。

 虚偽内容として問題があるのは、②③についての言及です。櫻井は、この2冊について統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」(62頁)と批判します。しかし、両書ともに霊感商法問題にはわざわざ節や項を立てて触れているし、③においては「正体を隠した伝道」にも言及しています。

 ②『踏みにじられた信教の自由』には、「"霊感商法"キャンペーンの背景にあったもの」という節(112-140頁)を設けて、実に30頁近くにわたって霊感商法問題に関する教会側の主張を示しています。これは目次に目を通すだけでも確認することできるわけで、「見落としていた」というような弁明は不可能でしょう。

 ③『日本収容所列島』では、第四章「統一教会反対派による包囲網」の「2 福音派牧師の取り組み」の「(3)「霊感商法」キャンペーンの事前工作」「(4)先祖供養や占いを罪悪視するキリスト教」「(5)霊界の否定と十字架贖罪論」「(6)先祖供養を拒絶する理由」の4つの項(173-182頁)、第四章「統一教会反対派による包囲網」の「4 反対牧師と連携する左翼」(206-214頁)において、統一教会側の霊感商法問題に対する見解を論じています。

 さらに、宗教ジャーナリストの米本和広と、拉致監禁被害者(後藤徹)との対談を掲載した第六章においては、米本が統一教会の正体を隠した伝道を辛辣に批判しており、それをそのまま載せています。少し長くなりますが引用します。

 大きな問題は二つある。一つは正体を隠して勧誘していることです。徳野英治前会長が二〇〇九年の二月と三月に通達文を出してから、かなり改善されてきているようですが、まだ一部の地域では統一教会を名乗らずに勧誘しているところもある。いまだに手相勧誘しているところもあると聞いています。日本の最高責任者が指示を出したというのに、それが守られないようなら社会から完全に信用されなくなってしまう。

 そもそも、正体を隠すのはとても気味が悪いことなのです。得体の知れない宗教団体と思われるのは当然のこと。「拉致監禁はいけない」と一般の市民が思ったとしても、誰かが「でも、統一教会には問題があるからね」という一言で終わってしまい、統一教会の問題と拉致監禁の問題とが相殺されてしまう。論理的にはおかしなことだけど、現実はそうなっている。

 統一教会はようやく組織をあげて拉致監禁問題と取り組もうとしているようだけど、「拉致監禁ノー」が世論にならないのは、得体の知れない宗教団体と思われているからです。その原因となっている正体隠し、ひいては秘密体質を払拭しない限り、拉致監禁を根絶することはできないでしょうね。親だって、子供がそんな気色悪い団体に入っていたら、牧師たちの「脱会させるには保護説得〔筆者注:統一教会の主張するところの「拉致監禁」〕しかない」という言葉がすっと入ってしまいますよ。親から保護説得なんかとんでもないと思われるようにならなければならない。そのためには、組織体質を抜本的に改革する必要があります。

梶栗玄太郎『日本収容所列島』280-281頁

 上述したように、櫻井は「統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」と論じ、さらには「統一教会は反社会的行為をなすから批判されるのだが、その全体的な構図から批判されているという部分のみを取り上げて、宗教迫害が許されるのかという主張をしているにすぎないのである」と続きます。しかし、事実は、霊感商法にも正体を隠した伝道にも一言も触れないどころか合わせて数十頁にわたって言及しているし、上の引用のように反社会的行為として批判されている内容まで書かれています

 誰の目から見ても「〔 ②太田『踏みにじられた信教の自由』と③梶栗『日本収容所列島』が〕統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」というのが、虚偽の内容であることは明らかでしょう。

 

2.そのほか問題のある記述

 上述した『カルト問題と公共性』の問題箇所(第2章の第四節「脱会カウンセリングと信教の自由」)には、そのほかにも問題のある記述があります。一つずつ指摘しておきたいと思います

 

2-1.櫻井は拉致監禁は非難されるべき行為という当たり前のことを曖昧にしている

 すでに述べたとおり、②③が「統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」というのは虚偽の内容です。

 しかし、そもそもの問題として、統一教会がたとえ正体を隠した伝道や霊感商法といった社会的に批判されるべき行為をしていたからとして、信者を暴力的に拉致し監禁する行為が許されるはずがありません。正体を隠した伝道や霊感商法をしても、していなくても、拉致監禁は非難されるべき行為である以上、「統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」という批判は的を外しています。

 もちろん、櫻井の見解によれば、それは「拉致監禁」ではなく「脱会カウンセリング」だということになるのでしょうが、それならばそのことを説得的に示せばいいわけで、なぜ「統一教会による正体を隠した伝道と霊感商法には一言もふれていない」という的を外した主張(しかも虚偽の内容)を述べるのでしょうか。そうしなければ説得的に示せない理由でもあるのでしょうか。

 また、虚偽内容を指摘した部分でも引用したように、櫻井は②③について、「統一教会は反社会的行為をなすから批判されるのだが、その全体的な構図から批判されているという部分のみを取り上げて、宗教迫害が許されるのかという主張をしているにすぎないのである」と述べています。櫻井は、あたかも統一教会側の②③の両書が、「統一教会が批判されているから迫害されている」という安易な主張をしているかのように論じていますが、両書の大きなテーマが、拉致監禁という具体的な行為に対する批判であることは明らかです。「批判されているという部分のみを取り上げて、宗教迫害が許されるのかという主張をしているにすぎない」ということはあり得ないでしょう。

 拉致監禁という非難されるべき行為を非難している、という構図をここまでして曲解するのはなぜなのでしょうか。

2-2.櫻井は不誠実な記述で拉致監禁を批判する側の主張を矮小化している

 櫻井は本書で、度々、問題のある「脱会カウンセリング」(拉致監禁)はごく一部に留まるかのように印象づけを行っています。

 ①『我らの不快な隣人』では、「脱会カウンセリング」(拉致監禁)によってPTSDを発症した元信者のケースを扱っていますが、櫻井はこれについて「リハビリテーションがうまくいかなかったことが、ごく一部統一教会元信者が脱会カウンセリングそれ自体に問題ありと主張する背景ではないかと推測している〔太字は筆者によるもの〕」(59頁)とコメントしています。

 ②太田『踏みにじられた信教の自由』について、櫻井は、太田が(根拠資料を明示せずに)これまでの拉致監禁の被害者は4000件以上と主張している、と紹介した上で、「しかし、」とことわりを入れ、「脱会説得を受けた信者の証言は五件(脱会カウンセリングを訴えた裁判の原告・現役信者)に留まる」と述べています。③梶栗『日本収容所列島』の論評においても、「(梶栗があげた総件数四三〇〇件中、実際に文中であげた事例は一二件、太田とも重複)」と括弧で補足をして、実際の被害はごく少数であることを仄めかしています*2

 たしかに、たとえば、櫻井の述べる通り、②において拉致監禁された側の裁判の原告現役信者側の証言は5件しか扱っていません。しかし、②は拉致監禁した側の発言をソース(裁判での陳述や、著書、キリスト教系の新聞など)を示した上で提示し、拉致監禁された側の信者の裁判外での発言にも、これまた出典を明示して触れ、それを再構成する形で100頁以上にもわたって拉致監禁の実態を説得的に描いています。

 例を挙げましょう。②は、反統一教会側から出版された、川崎経子『統一協会の素顔』からの文章を以下のような形で言及しています。

 川崎経子著『統一協会の素顔』(教文館、90年4月出版)には、次のような元信者とその母の手記が掲載されています。

 

「夜11時近い時間……急に暗闇から、二人の男に襲われ……ハッと思った時には、力ずくで大勢の人に車へ押し込まれ」(12ページ)、「部屋にはいつも大勢います。林に囲まれた道は細く一本です。逃げることはできません。残された手段は、"偽装脱会"だけ……」(16ページ)、「○○先生は午後三時に来られ……娘は『帰って下さい。人権無視です』と目を光らせ……(説得する)先生は……帰っていかれる。……叔父は(娘の)道子の足を縛り、涙を流して言い寄って……」(35ページ)、「親戚の者はローテションを組み、交替で来てくれ……すでに脱会している富田君や中川君が来てくれる。……同じ場所に渥美さんという20歳の女性が保護されて入ってきた。(彼女は)大声でわめき、大暴れして……道子は渥美さんへひそかに同情を寄せている」(37~38ページ)

 

 信者を拉致した上で、逃げられないようにして脱会説得しているのですから、明らかに監禁です。ところが、川崎牧師は、あえてそれを「保護」「救出」と呼んでいます。

 

太田朝久『踏みにじられた信教の自由』73-74頁

 このようにして、太田は、上記の引用以外にも拉致監禁した側や信者側の多くの資料に基づいて、拉致監禁とされるケースが事実として多数存在していたことを示しています。100頁以上にもわたるこのような記述を読んだはずの、櫻井が、「しかし、脱会説得を受けた信者の証言は五件(脱会カウンセリングを訴えた裁判の原告・現役信者)に留まる」と論じるのは、嘘をついていなくても、誠実さという点において問題があるのではないでしょうか。

 

 櫻井は、以上のように、公に訴えた事例件数をもって、拉致監禁の実態を「ごく一部」のケースであるかのように印象づけています(この傾向は『カルト問題と公共性』以上に、それ以前に出版した、『「カルト」を問い直す』(2006年)に強いです)。しかし、拉致監禁において直接の加害者は、多くの場合、自身の親である以上、それを公に訴えることは家族を公然と批判することになり、その心理的負担がいかに大きいかは容易に推察されます。したがって、公に訴える人の数は(実際の被害件数よりも)必然的に少なくなるわけで、その訴えた件数ばかりを重視すること、それ自体が、被害の矮小化をすることにつながると言っていいと、私は考えています。

 さらに、統一教会から脱会した元信者が「拉致監禁」という手法を批判しない理由について、前述の③『日本収容所列島』における、米本和広と拉致監禁被害者(後藤徹)との対談において、米本が次のように説明しています。

 脱会者は、統一教会の人と会うのをものすごく恐れています。会ったり、連絡を取ったりしたことが家庭に知られた場合、「まだ統一教会のマインドコントロールが抜けていない」と判断される。そうなると、「また拉致監禁だ」ということになります。
 脱会者から拉致監禁批判の声がなかなか上がらないのは、正直、怖いからだと思います。
(中略)
 統一教会をやめて良かったと思っている元信者が保護説得を批判すると、家族から「保護説得しなければ、おまえは統一教会をやめることができなかったんだ。保護説得を批判するということは、あのまま統一教会にいて、霊感商法に従事していたほうが良かったということなのか」と反問されます。そうなると、元信者は精神の分裂を招くダブルバインドの心理状態となってしまい、何も言えなくなる。とことん突き詰めていけば、ほんとうに精神が引き裂かれてしまいます。

『日本収容所列島』268-269頁

 現役信者であっても元信者であっても、拉致監禁被害者には公にその被害を訴えることが難しい理由があります。他の根拠となる資料(拉致監禁した側の発言等)が多く提示されているにもかかわらず、櫻井がわざわざ、公に訴えた件数を強調するのはなぜなのでしょうか。

2-3.櫻井は米本の質問状に答える責任がある

 私は、櫻井は米本の質問状に答える責任があると考えています。

 これについては、本書(『カルト問題と公共性』)に内在している問題というよりは、櫻井自身の学問的姿勢に関わるものと言えるかもしれません。ごく簡単に述べます。

 櫻井は、『「カルト」を問い直す』において、米本和広による、統一教会信者への拉致監禁問題を告発したレポート「書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇」(http://www5.plala.or.jp/hamahn-k/gendai.htm)を取り上げ、それについて批判的検討を行いました。それに応じて、2006年に米本は櫻井に対して20にも及ぶ質問状を送っています。これに対して、櫻井はほとんどの質問に回答をせずに返信(返信①返信②)をしましたが、なぜか8年経ってから、『カルト問題と公共性』(57-59頁)において、この件について自身の見解を述べています。

 『カルト問題と公共性』での櫻井の回答は米本の20の質問の一部だけに返答したもので十分な回答にはなっていません。私は、米本の全ての質問が真摯なものであり、櫻井が、先に批判的に米本の著作に言及した以上、学者としてその質問に一つずつ回答すべき責任があると考えています。

 

最後に

 以上のように、櫻井義秀『カルト問題と公共性』には明らかな虚偽内容があり、問題のある記述も含まれています。

 この本は、アカデミアの中でも概ね高く評価されたようで、特に、櫻井と同じく宗教社会学者でありカルト問題研究を行っている塚田穂高は、『宗教研究』88巻2号の書評にて本書を「日本宗教社会学からの「カルト問題」への理論的応答として、現状では比肩するもののない金字塔的成果である」とこれ以上にないくらいに称賛しています。

 私は、学問共同体というのは、相互批判によって正気を保つ側面があると考えており、誰か一人の学者がおかしなことを言ったとしても、それを他の誰かが批判することで、共同体全体としては健全性を保つようになっているはずと認識していました。

 しかし、このような問題のある著作についても、「カルト批判」という「公共性」に訴えたら、誰も正しく批判しない。そのような状況であるならば、本当にその学問における「正気」が保たれているのか不安な気持ちになります。率直に言えば、(櫻井の著作だけが原因ではないですが)学問や社会調査という営みに対しての懐疑と、失望が自分の中に生まれ始めています。

 偶々、私が統一教会2世であり、拉致監禁問題について一定以上の知識があり、自分の周りにも被害者がいて、それに関する文献も読んでいたため、本書の問題を指摘することができたけれども、私の知らない他分野で同じようなことが起きていれば気づけない。専門家が間違いを指摘することのできない学問共同体をどのように信頼することができるのか。

 そのような、疑念が生じています。

 

 最後に、あえて櫻井『カルト問題と公共性』の言葉を引用し、学問共同体、市民社会、そして自分自身へ訴えかけたいと思います。

 カルトを批判する側が絶対的に正しく、カルト側が絶対的に間違いという認識の枠組みだけではきわめて危うい。何が正しく、何が公共的観点から妥当ではないのかについては、批判対象のみならず、自己についても常に問い続けるべき課題である。

298-299頁

*1:統一教会信者に対する「脱会カウンセリング」(拉致監禁)問題とは何か?と気になった人は、問題となる行為を「脱会カウンセリング」とする反カルト側の主張として、本記事で扱っている『カルト問題と公共性』(57-63頁)や、櫻井『「カルト」を問い直す』の第3章を参照してください。それに対して、「拉致監禁」として批判する側(統一教会外)の主張として、米本和広『我らの不快な隣人』(ダイジェスト版はこちらこちら)、国境なき人権(国際NGO)による報告書「日本 棄教を目的とした拉致と拘束」を参照してください。統一教会側の主張は、太田朝久『踏みにじられた信教の自由』、梶栗玄太郎『日本収容所列島』に整理されています。

*2:実際に、太田も梶栗も4000件以上という数字の具体的な根拠を示していません。そこは筆者も不満を感じる部分ですが、『我らの不快な隣人』『踏みにじられた信教の自由』『日本収容所列島』における内容、加害者/被害者の発言や、加害者側の著作を読めば、その数字がおそらく誇張ではないと判断しています。特に、『我らの不快な隣人』において、脱会した元信者が統一教会批判派であるにもかかわらず拉致監禁を批判していることは重要だと思います。また、統一教会2世である筆者の周り(たとえば「友達のお母さん」)にも、拉致監禁被害者はいます。それほど、統一教会員にとっては身近なことであり、「ごく一部」ということはあり得ないと考えています。

クリスチャンが「隣人愛」「敵を愛せよ」と言えば美徳になり、統一教会員が「ために生きよ」「怨讐を愛せよ」と言えば悪徳になる。

 隙のない、手のこんだ偏見のために、人種的、民族的な外集団は進退両難に陥っている。外集団のメンバーは、大体何をしようとそれにはかかわりなしに、徹頭徹尾非難される。のみならず、気まぐれな裁判官的論理が行きあたりばったりに適用されて、犠牲者はその罪の故に罰せられる。表面はどのような形であらわれようとも、外集団に向けられた偏見と差別は実際に外集団のなしたことの結果ではなく、われわれの社会の構造とそのメンバーの社会心理に深く根ざしている。

〔中略〕

リンカーンが夜晩くまで働いたことは、彼が勤勉で、不屈の意志をもち、忍耐心に富み、一生懸命に自己の能力を発揮しようとした事実を証明するものだとされる。ところが外集団のユダヤ人や日本人が同じ時刻まで夜働くと、それは彼らのがむしゃら根性を物語るものであり、また彼らがアメリカ的水準を用捨なく切りくずし、不公正なやり方で競争している証左だとされるだけである。

 

 ロバート・マートン「第十一章 予言の自己成就」『社会理論と社会構造』389-390頁。

 

 エリートサラリーマンがパートナーと家族を大事にし、毎日よく働き不倫もせず子育ても一生懸命していれば人格者として尊敬される。統一教会信者が、配偶者と家庭を大事にし、がむしゃらに働けば、狂信的で保守的な家族イデオロギーの持ち主としてみなされる。

 

 国際ボランティアサークルの学生らが街なかでゴミ拾いをしていたら、市民意識の高い良き青年たちとなる。CARP*1統一教会2世が毎週日曜の朝に近隣の掃除をしたら「正体を隠した活動」として非難される。

 

 男性大学教員が一般の女子学生にセクハラ、アカハラをすれば大炎上し非難される。統一教会2世の女子学生が、指導教員に親の結婚を「犬猫の結婚」と罵られ、セクハラを受けても*2、裁判の内容を「カルト対策」の正当性が認められたと解釈される

 

 大宮のネットカフェの個室で32時間、女性が監禁されれば、大ニュースになるし、当然加害者は非難される。統一教会信者が反対派によって拉致され12年5ヶ月監禁されても*3、話題にならないし、被害者の声を拾おうとしくれた政治家がむしろ叩かれる

 

 クリスチャンが「隣人愛」「敵を愛せよ」と言えば美徳になり、統一教会員が「ために生きよ*4」「怨讐を愛せよ*5」と言えば悪徳になる。

 

 私は、美徳を美徳として、悪徳を悪徳として、等しいものを等しく扱う人間でありたい。クリスチャンの悪徳も、統一教会員の悪徳も非難されるべき悪徳であり、クリスチャンの美徳も、統一教会員の美徳も、尊敬されるべき美徳である。美徳を悪徳に、悪徳を美徳に変えてしまう道徳錬金術*6に成り下がりたくはない。

*1:原理研究会統一教会系のサークル。

*2:統一教会系メディア以外のソースはこちら。女子学生に求婚メール70通 佐賀大准教授 停職6カ月に 佐賀県|【西日本新聞me】

*3:統一教会系メディア以外のソースはこちら。(英語)Japan: A landmark court decision: Kidnappers and deprogrammers to pay dozens of million yen for attempted forceful change of religion | IIRF

*4:統一教会教祖文鮮明がよく言っていたこと。2世もこれをよく聞かされる。

*5:これも文鮮明がよく言っていたこと。韓国語の聖書では「敵を愛せよ」が「怨讐を愛せよ」となっている。

*6:冒頭のロバート・マートン「予言の自己成就」にある言葉。原文では、moral alchemists 。