クリスチャンが「隣人愛」「敵を愛せよ」と言えば美徳になり、統一教会員が「ために生きよ」「怨讐を愛せよ」と言えば悪徳になる。

 隙のない、手のこんだ偏見のために、人種的、民族的な外集団は進退両難に陥っている。外集団のメンバーは、大体何をしようとそれにはかかわりなしに、徹頭徹尾非難される。のみならず、気まぐれな裁判官的論理が行きあたりばったりに適用されて、犠牲者はその罪の故に罰せられる。表面はどのような形であらわれようとも、外集団に向けられた偏見と差別は実際に外集団のなしたことの結果ではなく、われわれの社会の構造とそのメンバーの社会心理に深く根ざしている。

〔中略〕

リンカーンが夜晩くまで働いたことは、彼が勤勉で、不屈の意志をもち、忍耐心に富み、一生懸命に自己の能力を発揮しようとした事実を証明するものだとされる。ところが外集団のユダヤ人や日本人が同じ時刻まで夜働くと、それは彼らのがむしゃら根性を物語るものであり、また彼らがアメリカ的水準を用捨なく切りくずし、不公正なやり方で競争している証左だとされるだけである。

 

 ロバート・マートン「第十一章 予言の自己成就」『社会理論と社会構造』389-390頁。

 

 エリートサラリーマンがパートナーと家族を大事にし、毎日よく働き不倫もせず子育ても一生懸命していれば人格者として尊敬される。統一教会信者が、配偶者と家庭を大事にし、がむしゃらに働けば、狂信的で保守的な家族イデオロギーの持ち主としてみなされる。

 

 国際ボランティアサークルの学生らが街なかでゴミ拾いをしていたら、市民意識の高い良き青年たちとなる。CARP*1統一教会2世が毎週日曜の朝に近隣の掃除をしたら「正体を隠した活動」として非難される。

 

 男性大学教員が一般の女子学生にセクハラ、アカハラをすれば大炎上し非難される。統一教会2世の女子学生が、指導教員に親の結婚を「犬猫の結婚」と罵られ、セクハラを受けても*2、裁判の内容を「カルト対策」の正当性が認められたと解釈される

 

 大宮のネットカフェの個室で32時間、女性が監禁されれば、大ニュースになるし、当然加害者は非難される。統一教会信者が反対派によって拉致され12年5ヶ月監禁されても*3、話題にならないし、被害者の声を拾おうとしくれた政治家がむしろ叩かれる

 

 クリスチャンが「隣人愛」「敵を愛せよ」と言えば美徳になり、統一教会員が「ために生きよ*4」「怨讐を愛せよ*5」と言えば悪徳になる。

 

 私は、美徳を美徳として、悪徳を悪徳として、等しいものを等しく扱う人間でありたい。クリスチャンの悪徳も、統一教会員の悪徳も非難されるべき悪徳であり、クリスチャンの美徳も、統一教会員の美徳も、尊敬されるべき美徳である。美徳を悪徳に、悪徳を美徳に変えてしまう道徳錬金術*6に成り下がりたくはない。

*1:原理研究会統一教会系のサークル。

*2:統一教会系メディア以外のソースはこちら。女子学生に求婚メール70通 佐賀大准教授 停職6カ月に 佐賀県|【西日本新聞me】

*3:統一教会系メディア以外のソースはこちら。(英語)Japan: A landmark court decision: Kidnappers and deprogrammers to pay dozens of million yen for attempted forceful change of religion | IIRF

*4:統一教会教祖文鮮明がよく言っていたこと。2世もこれをよく聞かされる。

*5:これも文鮮明がよく言っていたこと。韓国語の聖書では「敵を愛せよ」が「怨讐を愛せよ」となっている。

*6:冒頭のロバート・マートン「予言の自己成就」にある言葉。原文では、moral alchemists 。